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こんにちは。村上幸栄です。

~人も自分も輝かせる「実践方程式」~

普通の人には見えない世界。運と気と神と霊。この力をお借りすると、大成功すると信じています。

企業経営は人なり

「企業経営は人なり」とは、言い古された言葉です。

しかし、スピードや効率、目先の収益アップばかりを重視して、ビジネスに人を合わせてきたマニュアル・ビジネスを卒業し、人を育て、人の成長とともに企業も成長するヒューマン・ビジネスに向かうべき今こそ、その本質が見直され、たとえ小さな会社でも「人」が社運を握る時代といっても過言ではないでしょう。

企業を1本の木にたとえると、地上の木だけを見るのではなく、強い雨風が吹いてもびくともしないしっかりとした根を育て、広げていくことが、太く伸びる幹と艶やかな葉、大きく甘い果実を実らせることにつながります。つまりヒントは土の中にあるのです。

経営者はもちろんのこと、社員ひとりひとりの人間力が会社の運命を握る時代においては、それぞれの持ち味が発揮できるような土壌をつくり、全員が人財としての役割を全力で果たし、人によろこばれる存在となり、光り輝くことで、企業は存在理由を持ち、継続するのです。

命がけで実践してきたこと

私が会社経営に携わるようになったのは、21歳のときです。

仲間と会社を興したばかりの若い頃を振り返ると、夜となく昼となく働き続け大変でしたが、とにかくエネルギーがあり余っていましたし、何より経営が面白くてちっとも苦になりませんでした。20代の若者ばかり、がむしゃらに体をぶつけ合って商売をしていたような気がします。

努力した甲斐があって、少しずつ会社の規模も大きくなり、人も増え、33歳のときに社員が330人になり、あっという間に430人に、その後7年で2450人になりました。

私は長い間ナンバー2の立場でしたから、社員が一番大事だった。どうしたら彼らの給料を上げられるか、どうやったら彼らが家を建てられるようになるか、毎日社員のことばかり考えていました。家庭でいえば、お母さんが自分の子供と夫、家族を一番に考えるのと同じです。

考えたあげくに、社員がやる気になって、思い切り仕事をするには、背負っている荷物を降ろしてあげることだと思い至りました。そのためには彼らの置かれている現状を把握することが重要です。職場の悩み、人間関係の悩み、健康の悩み、ローンなどの金銭問題にいたるまで、ひとりひとり時間をかけて困りごとを聞き、問題解決していくことにしたのです。

そのための専門部署もつくりました。そこで解決できない重症者が、私のところへやって来ます。精神的ストレスで思うように働けない人、自殺願望、ガンやエイズで悩んでいる人、いろいろです。27歳でガンに侵され、人生に絶望していた営業マンのために、奥さんの実家のある山形県に営業所をつくり、本社出張と称して治療で東京に来る交通費を出し続けたこともあります。また、西に不治の病を治した人がいると聞けば走り、東に気功の名人がいると聞けば走りといった具合で、九州だろうと北海道だろうと会いに出かけたこともあります。

そのうち、私のオフィスは「村上診療所」と呼ばれるようになりました。

途中、私の方が病気になってしまったこともあります。しかし、人は会社にとって財産ですから、大事な財産を守りたい一心でした。その気持ちは今も変わっていません。

自分の魂を磨きあげるために、試されてきた人生

何も知らずに秋田の田舎から俳優を目指して上京したときには、まさかこのような人生の展開が待っていようとは思ってもみませんでした。

勢いに乗っていた時期にはお金にも縁ができ、お金がどんどん流れ込んできたこともあります。鉄砲玉のように使っていくことで、面白いようにまわっていくのです。物欲もありました。田舎の農家出身で、お金の価値は十分知っていたはずなのに、そのころはお金の怖さや脆さがわからなくなっていたのです。あるとき流れが逆流し、自分の驕った態度を思い知らされることになりました。

また、会社を上場させる中で、いろいろなできごともありました。闘えば到達しない。あばれれば溺れる。流れに逆らって突き進むのではなく、流れに身を任せてまわりに感謝し続ければ、かならず答えが見えてくるということもわかりました。

振り返れば、自分の魂を磨きあげるために、試されてきた人生だったように思います。

しかし、人にだけはいつも支えられました。よろこびも、苦難も、人一倍経験してきましたが、いつもそこに人がいて、どうしようもなく落ち込んだときには手を差し伸べ、応援してくれました。だから、いつ潰れてもおかしくなかった人生にも役割が与えられ、こうしてみなさまに私の思いをお話しする機会も得られたのです。この運を授けてくれたすべての人々、そして神さまに感謝します。

ときめいて生きる

人は生かされて、生きています。

最近、もっともうれしかったのは、次女が結婚し、双子の孫が生まれたことです。そして、アメリカに住んでいる長女にも二人目の子供が生まれたことです。私の身辺で思いもかけない問題が次々起きて、脳梗塞を起こした後でした。医者からは、あと1㎝ずれていたら命がなかったとも言われました。仕事の世界で波瀾万丈の人生を送ってきた私が、ひとりの父親として、ごく普通の幸せを味わえるよろこび。生きていて本当によかったと思えた瞬間でした。

一度脳梗塞を起こすと、人は涙もろくなるそうです。近ごろ、私も小さなことですぐに感極まってしまいます。特に感動するのは自然の美しさです。暮れゆく空に明けゆく空、夕日に染まる空と雲のコントラスト、雨上がりにかかる虹を見るだけで、きれいだなあ、幸せだなあと思います。そして、何といっても草花の美しさ。やはり神さまがつくった自然のものに勝るものはないと、また感動です。ですから、病気も悪いことばかりではありません。

さまざまな困りごとに対しても、いままで以上に、自分にできることは何でもしてあげたいと思うようになりました。困っている人を助けたい、困っている企業を助けたい、困っている自然を助けたい。心の奥底から、見返りを求めない無償の愛とでもいうような気持ちがわいてくるのを感じています。

しかし、思っているだけではだめで、心身が元気でなければ、誰かのため、何かのために行動することはできません。そのためにも体の健康を保つことはもちろん、自分の好きなこと、やりがいのあることに挑戦し、人間として、生き方が輝いていることが大切です。

「ときめいて生きること」とは、西野バレエ団の創始者で西野流呼吸法・西野塾を主宰されている西野皓三先生の言葉ですが、34歳のときにこの言葉を聞いて感動して以来、今なお心に響いています。その言葉の通り、いつもときめいて生きられたら最高だなと思います。

そんな私には、今、あたらしい夢があります。

二酸化炭素(CO2)を削減し、緑を増やす事業を本格的にはじめたいのです。地球の未来のためには、大人も子どももみんなが力を合わせてCO2削減に取り組むことが必至ですが、各家庭が楽しみながら節電の目標を持ってもらえるように、できるかぎり後押しをしたいのです。

そのために、太陽光発電システムの設置や、蓄電システムの推進、最終的には電気自動車(EV)の販売をしたいと考えています。同時に、世界的な花の祭典である英国チェルシーフラワーショーで3年連続金賞受賞した唯一の日本人、石原和幸氏とコラボレーションし、花と緑で世界をいっぱいにしたいと思っています。

このホームページでは、村上幸栄の個人的な活動や事業に対する考え、思いを発表させていただくほかに、こうしたあたらしい夢の発信、プロジェクトの活動報告などをさせていただく所存です。

どうぞ末永くお付き合いください。

村上幸栄

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